2007年11月21日
ぢどり長屋開業秘話33
これはリストラ寸前のダメサラリーマンが、繁盛居酒屋経営者に成長するまでの愛と冒険の物語である。
水槽のアジに誓って繁盛する!
「さわいさーん。お待たせしました。二百五十万円ですね。」
手が震えた。
現金で250万円。
おれは手に取った札束を封筒に無理やり押し込んだ。
本当だったら確認するところだが、金を人に見せてはいけないと直感的に感じたからだ。
今日は店のオーナーに居抜き料金250万円を支払う日だ。振込みとかじゃなくてなぜか現金で引渡しとなった。これもこの手の取引の常識なのだろうか?
俺はとにかく国民金融公庫から自分の口座に振り込まれた事業資金のうち250万円を銀行から引き出した。
現ナマで250万円なんてそうそう手にすることが無い。ましてそれをカバンに入れて持ち歩くなんて。
よく「おろしたばかりの現金をひったくられた」という事件がニュースで報道されている。おれは表情を変えないようにして封筒をショルダーバックにねじ込んだ。
予定の時間に五分遅れで店についた。
店ではあのバブル不動産の山田とこの店の大将が座って待っている。
三日前まで営業していた店内は引渡しのためにいくぶん整理されていた。
そらそうだろう。ほとんど使えるもののない店舗が250万円に化けるのだ。
入り口の水槽にはいつもカワハギが泳いでいたが、今はやせ細って青白くなったアジが一匹だけふらふらと泳いでいる。
「すんません。ちょっと銀行で手間取って遅くなりました。」
「そうですか。でははじめましょうか」
バブル山田が書類をテーブルの上に広げて説明を始めた。
不動産関係のなんやらよく分からない書類にハンコを押していく。
そして、大将に封筒に入った250万円を差し出した。
丁寧に数を数えた彼は顔を上げると誰に言うでもなくしゃべりだした。
「いや〜もう疲れたよ。採算が合わないってわけじゃないよ。でも朝から晩まで仕事して、終わってから常連さんたちと飲んで。この三年間もう疲れたよ。」
彼も今の俺のように三年前は夢を求めてこの店を始めたんだろう。
でも、今の世の中料理がおいしいだけでお客さんがやってくる時代ではない。
少ない売り上げを長時間労働で何とか帳尻を合わせる。
肉体労働に頼っているから頭を使う時間が無い。どんどん深みにはまっていく。
そして夢はいつの間にかどこかへ消え去ってしまう。
そんな三年間だったのだろう。なんだか悲しくなってしまった。
俺もビジネスを教えてくれる師匠たちと出会ったから良かったものの、普通に脱サラしていたら三年後の自分の姿だったかもしれない。
俺は彼の独り言に返す言葉が無かった。

